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20 April

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23 January

才能の話

おなか一杯なのでブログを書きます。


 私は元々、(厨時代の話ですが)才能主義みたいな。物凄まじい全能感の持ち主でした。っていうか、それは余り変わってなくて、それは現在、ストレスを持ちにくい楽観主義に転換されています。


 ここ数年間、私はその逆を行くように、「才能は努力の補完はするけれど成果の本体ではない」という価値観で行ってました。
 
 才能主義では、上手くいかなかったとき、自分を全否定しなければいけません。
 「自分は才能があるのか?無いのか?」なんて疑心暗鬼を抱えたまま何かを行っても碌なものは出来ません。というか、自分が抵抗無く取り組めたものこそ才能があるものなので、疑心暗鬼に陥ってる時点で通常、才能と呼ばれるものはありません。
 才能主義だと、ここで終わってしまいます。

 努力すれば埋められるかもしれないのに。才能が無いから止めるんですか?

 ……って話になっちゃう。
 勝てる土俵で戦うのはリスクマネージメントとして当然ですが、そういうのは自力ができた人がやることでしょう。子供がやることじゃないし、自分の売りがわかってない人もやっぱりやるべきじゃないんじゃないかなぁ…。


 私がわかっているかというのは別として。
 あと、売りって流動的なもんですよね。
 まぁ、今年の私は昨年から引き続き、売り込む年では無いんです。


 ようは、どんな時間を過したかが大事ってことと、
 無いと思ってる貴方の才能は、周りから見たらちゃんとあったりするものよね。っていうね。


***


 私の才能の話で言うならば、

 「漫画が好き」
 「白紙から書き起こし完成させる」
 「言語形態でストーリーを頭の中で起こせる」
 「2次元画像に描かれた空間の別視点を計算して再編成できる」

 という、漫画を描く人は持ってることが多くて、中には漫画家だけどもってなくて別の技術で代替していたりされていて、一般的かどうかは怪しい技術は、私が才能を元にそういう時間を過してきたから一定以上に使える技術な訳です。

 ちなみに私は三次元では映像を組み立てられていないようです。父は三次元モデルを頭の中で回転させられるらしいのですが、わたしはパッと出たシーンをパシャッと切り替える感じです。
 描いているものは3次元だ、と認識しちゃってるので、2次元画像独特のロジック絵を作るのも苦手です…。
 概念把握傾向が強いので、ありのまま景色を描くとかめっちゃ苦手です…。

 その代わり、ネームを描くのも作るのも考えるのも楽しいです。


・父母ともに漫画を購入しているサブカルに親和性の高い家庭
・父がムックを資料に白紙からギャバンを書き起こした幼児期の記憶は鮮烈
・漫画家になりたいって思ったときから妄想の日々
・漫画家に対する先入観による全身図、ポーズ重視の落書き

だいたいこんな感じで、今使ってる技術が作られていって、それについては大体、深く考えずにできるようになっている訳です。

ここに対して、私が才能といえるものがあるとすれば、
・言語優位で思考を組み立てられる
・キャラにポーズを取らせる、ということに抵抗感を覚えない程度の空間認識力

くらいなもんで、このくらいなら結構居ると思うわけですよ。持ってなくても匹敵する別のものをもってたりするもの。

 逆に、天才だ、才能がある!なんて人は、私が志すずっと前の自意識が生まれる以前からその才能を生かすレールに恣意的であれ運命的であれ乗っかってたか、私に無い努力の才能があって短期詰め込みで技術を磨いた、つまりキャリアの違いだ、というのが私の考えです。

 今までは、モノ作りとか分業特化の時代でしたけど、これからは分業や既存のものに甘んじてると仕組みを作った人に縛られて自由を奪われる時代ですから、そういう、「それしか出来ない才能がある人」って奴は古いんじゃないかなぁって思います。

 だからといって、私が色々勉強してきた秀才だぜ★っなーんてことは全然言え無いです。幸せ者ですから。つまり怠け者ってことでして、怠け者はやっぱり志は拓かれないですよねぇ。自業自得。そう自業自得。


 才能に言い訳するのは止めようぜ。 

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