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20 April

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13 February

難読書。でも読めないからといって無駄ではないよね。

うーむ。

小模糊のほうでも触れましたが、「不食 人は食べなくても生きていられる」(山田鷹夫氏著)なのですが、批判めいたことを書くならばきちんと読んで書くべきだろうと思って、2章を読んでいるのですがやはりちょっとだめだー。

要点や「不食」という発想は大いに関心し、納得するところであるのですよ。

でもなぁ。ちょっと文が酷すぎます。これ、この厚みの三分の一でいいですよ。本当に。国語の先生だったら点付けてくれないと思います。

学が無いと自己評価するのは構わないですし、そういうポリシーもあるでしょう。そこはまったく構わないのですが、論調が終始横暴です。論じているのに論たる拠が「学が無い」著者の価値観や感情論でしか無いので、とても横暴に感じます…。もしかして、学が無い、と申し上げることで人を言葉で傷つけることへの免罪符にでもなると思っているのでしょうか…?そんな甘さが散見されて、痛々しい上に不愉快です…。

言論の自由が許されている日本ですが、自由への責任を取り違えないで頂きたい。思いやりのない言葉や思想で他者を侵害したら、排斥されるか無視されるのが社会なのです。

横暴に要点以外の残り三分の二を要約すると、「食事なんかしてるお前らは馬鹿だろう?」です。もうこれは本への批判どころか悪口となってしまいますが、私流に明瞭に申し上げるとそうなる。そういう精神性が見え隠れ。そういう誤解を感じさせてしまう文章を躊躇わずに本にしてしまえる稚拙さ。ああもう痛々しくて堪らない…!
確かに神は人が霊なる存在であることを知らしめることを許しだしているでしょう。
ですが、このような横暴な言葉は世界を動かしている少数の人間には伝わりません。確かに、飽食時代の日本人で、自分を自制できない方々を打ちひしがれさせる効果はあるかも知れませんが、社会的影響力が凡庸な人間がなにかを宣言したとして、それは飽くまで自分への誓いの域を出ません。
そこへ感銘を受けさせるか否かは、その人の人格、精神性の高さ、相手を思いやる意思、それを支える経験、知恵、先見力です。

端々は確かに納得いく内容であるだけに、もうあれです、判りやすく言えば、「格好悪い」本です。詰まらんなぁ。大変残念です。
私がここまで拒絶反応をしてしまうのは恐らく、真理については同意を感じているからだと思いますね…。何故そういう風にしか書けないの?と…。

まぁ、「飽食時代の自制できない日本人を打ちひしがれさせる」程度の許可ということなのでしょうね…。


話は変わりますが、私は独身一人暮らし。家族はちゃんと居りますが、頻繁に帰るような距離や間柄でもありません。友達は結構居ると思うけど、普段のやり取りはインターネット。家族との連絡も携帯でメール。普段私が声を交わすのは、今お世話になっている会社の人たちだけです。
これがどのような状態かと言うと、魂のコミュニケーション不足であると自己評価できます。神様や霊なる姉の力を感じていればそれほど寂しくもありませんが、未熟な私はまだまだ自分の感度が下がってしまうことが多々あるのです。そうなると、どうしても魂が枯れてしまうもの。

それを補ってくれるのが食事です。

私はあまり食事に拘りません。むしろ原稿を考えると食べないで居られたらいいのにと往々にして思います。余裕が出たら不食にチャレンジするのも良いかも。
私が主に食べるのは、白いご飯に納豆、お味噌汁。キムチ、卵。

食事を抜いたり、カップめんやお茶で済ませたりして食事が荒れると、ふと猛然と食べたくなります。納豆!ぎぶみー納豆!

納豆も卵も高栄養素でそれだけでビタミンやミネラル、蛋白質が取れる食べ物ですが、そんなことは関係ありません。好きなのです。それ以外の何者でもない。世界が滅びる日の最後の食事は?と聞かれたら納豆と白米と答えるでしょう。
もしかしたら、その栄養の良さが私の魂に響いているのかも知れませんが。

大体1日に2~3食、時間帯は安定。どんな食事も、そのとき食べたいものを、腹八分目まで食べます。朝は野菜ジュースだけで満ち足りることもある。昼はコンビニでサンドイッチか食堂の麺類。朝夜と納豆と白米な日も結構あります。

野菜ジュースを飲むこともあるとは言え、基本的に食事は茶色と白です。でも私は健康で、自分の本分である原稿や、お金を稼ぐことにも全く不備を感じません。
ちなみに野菜ジュースは飲みたいから飲んでいるだけです。体が欲しがっているので飲む、という明瞭な理由。それ以外のジュースと名のつくもので一番冷蔵庫に入ってることが多いのはオレンジジュースでしょうか?野菜ジュースの常駐率とは超えられない壁がありますが。それ以外のジュースは殆ど家にありません。炭酸飲料などは、外食して気が向いたら、といういわばハレの日限定の摂取です。
まぁ、コーヒーにぼかぼか砂糖を入れるので、砂糖の量が少ない訳ではありませんが。いいんです、糖なら頭を使えば。

ダイソーでアルバイトしていた時代はもっと栄養バランスが悲惨でした。1日2食であたりまえ。夕飯は高確率でカップめん。でも今より健康だった。毎日動いていたし、あの職場に居た人は殆ど本気で仕事をしていたから気持ちよかったから。

まぁ、私の食生活については脱線の域を出ない訳ですが。

以上の日々のご飯と、私は対話をしている訳です。
納豆やキムチなど、口に含むたびに素晴らしさをかみ締めます。発酵最高!お味噌汁は和の心を思い出させてくれるし、卵のエネルギッシュさと来たら尊い。
それらは、ご縁があって、私の食卓まで来て私と出会ってくれたものなのです。

神様は、学びのために生き物に残酷な条理を植え付けた。
何故なら傷つけないと傷つけられないから。傷つかないと、痛みが判らないから。
だから戴けと申される。
明日はわが身かもしれない肉片を、在り難く頂戴する訳です。
私は感謝する。美味しい彼らに感謝する。身を持って喜びを与える彼らに感謝する。それらに携わった人のご縁、命のご縁に感謝する。

有難うございます。戴きます。


その営みが愚かであるはずが無い。

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