15 July 何もしなくていい?変わらずにいられるの? ある通りすがりのブログで引用されていていたライフハック系ブログをRSSリーダーに入れてみたら、最近のエントリーからはライフハック色が無くなってて、なにか悟ったようなことが描いてあって噴いた。 「 何も変えなくていい、何もしなくていい」 おっしゃっていることは、禅の思想に通ずると思う。 「ただ感じる(観る)」と言うことが出来ていなくて苦しむ人は私も含めて多い。 私は本を読んで理論的に知っているだけなので、氏のように自身の体験から 思い至れるのとは大きな差があると思う。 ただ、何もしなくても、変えなくてもいいか、というと、その結論だけでは個人的な範囲の解答だと思うんです。 江原氏曰く、世の中には生まれるときに付く宿命とカルマってものがありまして、つまり死ぬまでの間で活用できる属性(宿命)と、宿題(カルマ)があるんですね。何もしない変わらないって言うのは、「宿題しなくても死なないもん」と始業式に未記入のドリルを持っていくようなものです。 別に自己責任で宿題をサボった自分になるなら、それもまたいいと思います。(余談ながら宿題をしない子は、仕事ができない子になります。私みたいに(笑)これもまた私が自ら選んで積んだカルマですねぇ。まさに自業自得) ただ、カルマには「日本のカルマ」「世界のカルマ」もあって、つまり「夏休み中のウサギ小屋当番」もある訳なんです。それをサボるのもまた自由ですが、みんながさぼったら囲われたウサギは普通に考えて死んでしまいますよね。 それがどう言うことかと言うと、国(星)が悪くなっていき、終いには滅びるってことなんです。 別に滅びてもいいじゃん地球爆発しろ。って思ってらっしゃるならどうぞおサボり下さい。でも、サボってない人も居るから、大変なんだよね。滅びてもらうつもりの人は、なかなか滅びなくて苦しいし、星滅びたらまずいって思っている人は滅ぼさないように努力してるから苦しいです。なんて不幸せなのかしら。苦の渦中の幸不幸を決めるのは私ではないのですが。 なので、何もしない変えない、というのは個人的範疇の解答だと思うです。 人間が作ったものは完璧じゃないから、長く使うには手を入れないといけませんよね?日本の経済とか、政府と言うシステムは、人間が作ったものですから、やはりウサギの世話当番はある訳です。 ただ、氏のエントリーは、「サボっていいよ」では無いとは思います。 価値観が変わりました、と仰っているだけかと。 人は変わらずに生きることは実はできません。そう言う意味では、「変わらない、何もしない」ということは破綻しているとも言えます。 一瞬の前と後の私はもう別の私です。生涯アウトプットした文字の数が違うかもしれない。消費した酸素量が累計で増えていることでしょう。こうしている今も、私の皮膚は新しい細胞を産み出して、表面部分の皮膚は垢になっていきます。人間は変化しないまま存在を維持することができません。(そう言うことじゃねぇだろって言われそうですがw) そして、「なにもしなくて、変わらなくていいのでは」と仰っている氏も、変わっています。 あるがままを「見て」「感じて」「考えて」いる。 一瞬前の氏と同じではありません。私はそう思います。 まぁ上で「生涯(中略)垢になっていきます。」の内、呼吸と代謝については体が自動的にしていることで自然現象なので、人生という意味ではややノーカンかもしれませんが。意識的に何もしなくても自分の変化は止められないって言う意味です。 つまりまぁ、氏のエントリーはタイトル通りの意味ではないよねってことなんです。 ただ、氏の結論だけだと、やはりウサギ小屋の当番をしている一部の人にはなれないから、やっぱり「意識的に自分を良い方へ変えていく」「余力を用意して人を助ける」方向はほしいなぁ、とは思いました。 「たがために」という言葉があって みんなが自分のやること+1で人のためになることをちょっとだけやっていくと、みんなの仕事が少なく楽になるんですって。不思議だね。 ただ、今は利他より利自がまだまだ全然大多数のようなので、その方が楽だよって言っても効果が出ないのも、また、世のカルマですかね。くやしいね。 PR